勝手に他人を「かわいそう」「大変」って決めつける人って何様?

小学校の時のお話です。

私は生まれも育ちも現在も地元で、ど田舎。一応「市」ではあるけど、クラスが1学年1クラスが当たり前で、クラス人数も20〜30人。先生もそんなにいないので、不幸なことに嫌いな先生に3年間も受け持たれ、その先生の仕打ちなどは、26になった今でも心の傷となり、実生活での足枷になっています。

忘れもしない、「障害者、高齢者の擬似体験学習」

あれですよ、アイマスクをつけて白杖を使って点字ブロックの上を歩いたり、全身に重りが入ったベストやサポーターをつけて、高齢者の身動きの取り方を知ったり、車椅子に乗ってスロープや段差を体験するんです。

目が見えない状態や耳が聞こえない状態で友達を探したり、当てるゲーム?をしました。クラスメイトの1人が手を叩き、それがどこの方角でなっているのか。あとは、顔がわからなくても、その人の匂いや声などで「〇〇ちゃんでしょ!?」なんて当てたり。耳が聞こえなくても、授業でちょっと習った手話で挨拶がすぐ交わせるのが感動だったり。

確かに、大変でした。これが毎日続くとなると、擬似体験や想像だけでは計り知れないものがあることは、事前学習やテレビなどで子供ながらに理解していました。

ただ、幼い私は通常の自分とは違う景色の見え方やコミュニケーションの方法にとても興味が湧いたのです。ただ、それを小学校中学年の子供が表現する言葉で言えば「楽しい」でした。

「楽しい」とはいえ、ふざけてたわけじゃありません。実際に目の見えない方と高齢者の方にたくさん質問をして真剣にメモった記憶があります。「私たちが体験したこと以外で、私生活でもっと大変なことはありますか?」みたいな。こんなにきちんとした質問ではないけど。ただ障害を持つ方は、私生活において私たちが想像もできない方法というか裏技というかで、健常者同様さらっとやりこなしてしまうこともあり、「え〜!そっか、そういう風にやるのか、みんな『かわいそう』って言ってるけど、全然かわいそうに見えない。ずっとニコニコしてお話してるし、楽しそうにやってる!」と思ったのです。

その「楽しい」という言葉が後にめんどくさいこととなりました。

体験学習後、親に見せるお便りに載せるための短い2〜3行程度の感想文(名前付き)を書きなさい、という風になりました。そこで私はそのまま擬似体験が「楽しかった」という風に書いてしまったのです。

後日、みんなに配られたお便りを放課後見てみると、みんな「大変だと思った。」「かわいそう」「辛い」などと書いており、

衝撃だったのがお便り下部に最後の先生の一言

「今回の体験学習の感想で『楽しい』と書いた生徒も、この学習を通して、後に障害者の抱える悩みや思いに気づけることでしょう」

ちなみに、「楽しい」と書いた生徒は私とあともう1人くらい。名前付きの感想文ですから、誰がそんなことを書いたかなんてすぐわかるんです。先生からは直接何も言われてませんが、親からは「障害者が楽しいってどういうことだ」「他の親御さんにどう思われるか」とこっぴどく叱られました。

幼いながらになんて汚い手法を使って子供を責めるんだろうと思いました。他の先生だと、感想文を書いた後に「あんまりよくない内容だな」と思えば、書き直しさせるとか、なんでこんな文章を書いたか生徒に聞くなどしていたからです。

このお便りによって、先生にはお便り越しに注意され、自分の体験した事をたくさん話したいと思った親には叱られ、きっとどこかの家の親御さんには笑われてるか、良くない顔をされていると思うと、かなりショックで悔しい思いをしました。

それと共に、なぜ障害のある人や高齢者を『かわいそう』『大変』『辛そう』だけでまとめてしまうのか、なぜそう書けば叱られないのか疑問でした。事前にテレビ学習(ビデオ学習)で見た障害のある人たちは、確かに人の手を借りないとできない事もありましたが、インタビューでは前向きでしたし、ニコニコしていたのが印象的だったからです。

結局、後日参観日に模造紙にまとめたレポートを各自発表することになり、悔しかった私は質問した内容や回答を黒マッキーのみでびっしりまとめ「『楽しかった』と書いたもののふざけてたわけじゃねえぞ」というアピール。「最初は楽しいと思ったけど、色々調べていくうちに、「障害者は大変なんだな」と思いました。」と締めくくりました。

心の中では「障害のある方は本当に毎日大変ばっかりなのかな」と思っていました。

面白いことに先生からはいい評価をもらい(通信表的な数値でいうと5でした)、親からも「良く勉強したね」と言われ、他の親御さんにも高評価でした。

結局大人が求める答えを出しゃ良かったんかい、と今でもそう思います。

感想文の末尾に「楽しかった」とだけ書いた私のバカな語彙力も悪かったのでしょうが、幼いながらに「障害のある人々=大変・辛い・かわいそう」に疑問を抱いたことは我ながらいい観点だったなと思っています。

ということで、26の私が十なん年前かに体験した出来事でした。幼い頃の気持ちは今でも変わっていません。大人になって語彙力がそこそこある今、容易に人を哀れむのは失礼だと思っているし、「あの人は〇〇が無い(できない)から不幸」という考えも持っていません。

ほぼ小学生の頃の愚痴になっちゃったw

あなたはどう思いますか、先生の行動、私の語彙力の無さw、障害のある人についての考え方など。